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ジョンソンシティ (テネシー州) : ミニ英和和英辞書
ジョンソンシティ (テネシー州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ジョンソンシティ (テネシー州) : ウィキペディア日本語版
ジョンソンシティ (テネシー州)[す, しゅう]

ジョンソンシティ()は、アメリカ合衆国テネシー州の東部、ワシントン郡カーター郡サリバン郡3郡に跨る都市である。大半はワシントン郡に入っている。2010年国勢調査では人口63,152 人であり、州内第8位だった。
雑誌「フォーブス」に拠れば、全米で「事業とキャリアのための小さな場所」リストの第14位に挙げられた〔2012 Best Small Places for Business and Careers 〕。出版社「キップリンガー」では、「全米で生活のための費用が少ない都市10傑」の第5位に挙げられた。これには生活費が安く、入手可能な家、平均以下の光熱費、交通費、医療費が貢献していた〔"The 10 Least-Expensive Cities For Living in the U.S.A." , ''Kiplinger''〕。
ジョンソンシティはジョンソンシティ大都市圏の主要都市であり、この都市圏にはカーター郡、ユニコイ郡、ワシントン郡が含まれており〔METROPOLITAN STATISTICAL AREAS AND COMPONENTS , Office of Management and Budget, 2007-05-11. Accessed 2008-07-30.〕、都市圏人口は2008年時点で195,849人である。さらに広く、ジョンソンシティ・キングスポートブリストル広域都市圏にも含まれると見なされ。この広域都市圏は通常トリシティーズ地域と呼ばれている。トリシティーズ地域は2008年の推計人口500,538人であり、テネシー州では第5位になっている。
== 歴史 ==
伝説に拠りテネシー州最初の開拓者と見なされているウィリアム・ビーンが、1769年にジョンソンシティに近いブンーズ・クリーク沿いにその小屋を建てた〔Paul Hellman, ''Historical Gazetteer of the United States '' (Taylor and Francis, 2005), p. 1016.〕。
1780年代、ジョン・ティプトン大佐(1730年-1813年)が、現在のジョンソンシティの直ぐ外に農場を造った(現在はティプトン・ヘインズ州立歴史史跡)。フランクリン国を建国する動きがあった時、ティプトンは王党派の指導者であり、別の国を作るよりもノースカロライナ州の一部に留まろうとしていた。1788年2月、ティプトンの農園で、ティプトンの指揮する部隊とフランクリン国の指導者ジョン・セビアが指揮する部隊との間に戦闘が起きた〔A civil and political history of the state of Tennessee" ; by John Haywood〕。
ジョンソンシティの町は1856年にヘンリー・ジョンソンが「ジョンソンのデポ」と呼ぶ鉄道駅として設立し、中心街で3つの路線が交差したので、アメリカ合衆国南東部の鉄道主要中心となった〔Graybeal, Johhny, "Riding the Rails: The Storied History of the ET&WNC Line" , ''Johnson City Press'', 18 April 2005〕。19世紀後半と20世紀初期、狭軌の東テネシー・西ノースカロライナ鉄道(綽名は「トウィーツィー」)と標準軌のクリンチフィールド鉄道が、市内に本社を置いた。どちらの鉄道もブルーリッジ山脈の景色が良い場所に観光列車を走らせ、鉄道建設の素晴らしさを誇っていた。さらにサザン鉄道(現在のノーフォーク・サザン鉄道)も市内を通っている。
南北戦争のとき、アメリカ連合国上院議員ランドン・カーター・ヘインズに因み、町の名前が短期間だがヘインズビルに変えられた〔Haskell, Jean. Johnson City . ''Tennessee Encyclopedia of History and Culture''. Accessed: December 25, 2009.〕。戦後すぐにジョンソンシティに戻され、1869年に正式に法人化された。ヘンリー・ジョンソンが1870年1月3日に初代市長に選出された。町は1870年から1890年まで、鉄道と鉱業が栄えたので急速に成長した。しかし、1893年の全国的な不況が起こり、多くの鉄道会社が破綻した。例えば、クリンチフィールド鉄道の前身であるチャールストン・シンシナティ・アンド・シカゴ鉄道、いわゆる「3C鉄道」が破綻した。その後の金融危機によりジョンソンシティの好況が止まった〔"Johnson City is a Typical American City ", ''The Sunday Chronicle'' (Johnson City), 1922.〕。
1901年、傷痍志願軍人国立の家山岳支部(現在はアメリカ合衆国退役軍人局医療センターと国立墓地)である山の家が〔Veterans Affairs Medical Center. Mountain Home, Tennessee. 〕〔Cemeteries - Mountain Home National Cemetery - Burial & Memorials 〕、ウォルター・P・ブラウンローの提案したアメリカ合衆国議会の法によって創設された。その広さ450エーカー (1.8 km2) ある敷地の建設は、南北戦争の傷痍軍人のために設計されており、300万ドルを掛けて1903年に完成した。その施設の完成に先駆けて、町全体の評価額が75万ドルとされた。1911年に東テネシー州立師範学校が承認され、そのキャンパスは国立軍人の家の真向かいに置かれた。ジョンソンシティは急速な成長を始め、1930年にはテネシー州で5番目に大きな町になっていた〔''Fifteenth Census of the United States – 1930 – Population: Volume III, Part 2: Montana-Wyoming'' , p890〕。
隣接するブリストルの町と共に、ジョンソンシティはオールドタイム・ミュージックの揺籃として知られている。1928年にジョンソンシティ・セッションと呼ばれたコロムビア・レコードの録音セッションが開かれた。地元出身の"フィドリン・チャーリー"・ボウマンがこれらのセッションを通じて国民的スターになった〔"Old-Time Music Heritage" , Johnson's Depot Website〕。中心街の泉の広場地域はブラインド・レモン・ジェファーソンなど、地元や旅の芸人が演奏する会場になった。
1920年代と禁酒法の時代、アパラチア山脈の密造酒醸造活動との結びつきが強く、「リトル・シカゴ」という綽名を貰った〔"Little Chicago" , Johnson's Depot Website〕。この時代にシカゴのギャング、アル・カポネが展開した配送拠点の1つだったという話もある。カポネはアメリカ合衆国南部で密造酒の組織化された流通ネットワークを持っていた。山中の醸造者から商品を北部の都市に運び出した。地元の伝承では、現在アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている贅沢な共同住宅モントローズ・コートにカポネが一時的に住んでいたとされている。
ジョンソンシティはトラビス・トリットの『現代のボニーとクライド』という歌とビデオに登場するが、州間高速道路95号線の北で転がる」というフレーズは事実とは異なり、ジョンソンシティの近くでは州間高速道路81号線と同26号線が交差している。バンドのオールド・クロウ・メディスン・ショーによる歌『荷車の輪』では、「ロアノークの南に歩いて行くと、フィリーからのトラック運転手を捕まえると素敵な長いマリファナを持っていた。しかし彼はカンバーランド・ギャップから西のテネシー州ジョンソンシティに行くところだった」と歌っている〔"Wagon Wheel" lyrics by Old Crow Medicine Show , ''Encyclopedia of Road Subculture''〕。
ジョンソンシティは長年、旅のサーカスやその他移動して行う事業が町で興行を行わないよう、カーニバルショーに市の「特別税」を課していた〔"The Day They Hanged An Elephant In East Tennessee" , Blue Ridge Country, 13 February 2009〕。商人がその商品への注意を引くために太鼓を使うことが禁じられている。市の法典第6章第106項、いわゆる「バーニー・ファイフ」条例では、市の警察が、いかなる暴動、無法の集会あるいは平和の破壊を妨げ、鎮める際に、逮捕を助けるのが必要であればできるだけ多くの市民の自発的援助を求める権限を持っている〔Title 6, Sec. 106, Municipal Code of Johnson City, Tennessee 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョンソンシティ (テネシー州)」の詳細全文を読む




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